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琢磨Hondaに復帰、アンソニーが3rd それが理想 [F1]

昨日付け5/8の東京中日スポーツの今宮純連載のグランプリ展望の記事にて、

佐藤琢磨
Honda Racing正ドライバーに復帰

アンソニー・デビッドソン
Honda Racingテスト&サードドライバーに就任

ルーベンス・バリチェロ
2009年ロス・ブラウン就任2年目のHonda Racingの開発専任に回ってもらう

以上のプランを紹介していた。
※グランプリ展望の記事はスーパーアグリ尽くしでトルコGPの内容はありませんでした。

R・バリチェロといえば最近F1出走250回を記録したが、
レースをしているという観点では、パフォーマンスが悪すぎる。
2006年に行われた最終戦ブラジルGPで7位入賞して以来ポイントゲットがないのだ。
2007年(全17戦)はF1参戦以来の初のノーポイントのシーズンになった。

今年2008年は開幕戦のオーストラリアGPで久々の入賞6位となったが、
ピットレーンのレッドシグナルを無視して失格。
開幕から前戦の第4戦スペインGPまでノーポイントとなり、
2007年から始まったノーポイントレースは連続21戦になった。


2005年シーズン、琢磨はハンガリーGPの1ポイントと、
同僚のジェンソン・バトンが稼いだ37ポイントと比べるととても内容の悪いシーズンだった。

しかし、そんな琢磨も2006年もHondaで走れることは確定だった。
ジェンソン・バトンがウィリアムズに移籍し、
フェラーリからバリチェロをNo.1ドライバーに迎え、No.2に琢磨のはずだった。

2005年シーズンのウィリアムズは「BMWウィリアムズF1チーム」のパッケージで参戦していたが、
2006年はBMWがザウバーを買収し、「BMWザウバー」となり、
ウィリアムズはBMWを失いコスワースに更に資金が潤沢とはいかなくなってしまった。

そこで2006年シーズンはバトンを獲得しようとしてたウィリアムズは、シーズン半ばにバトンを得る権利を獲得してた。
ウィリアムズは数十億の契約金をHondaより受け取ることにより2006年シーズンを戦うことにした。

そこで玉突き現象が起き、バトンはHondaに留まり、琢磨がシートを失うことになってしまった。
そんな時にHondaがワークスで参戦、Hondaのカスタマーシャーシでもう一つのチームが参戦するとの報道が突如として出た。

鈴木亜久里氏がスーパーアグリの参戦が決まったのは2005年末のことだった。

2006-08年で戦った琢磨の走りは、ジョ-ダン、Hondaに在籍だった頃よりパフォーマンスが高かった。
今ほど評価が高い状態は無いのではないでしょうか?

トルコGPではスーパーアグリの撤退を受けて予選ルールの変更などが行われている。


□ニュースソース

F1 : SAF1撤退を前向きにとらえようとするエクレストン - Super Aguri F1 - F1-Live.com
http://jp.f1-live.com/f1/jp/headlines/news/detail/080509052536.shtml

F1 : 予選ルールが変更へ - Istanbul - F1-Live.com
http://jp.f1-live.com/f1/jp/headlines/news/detail/080509044448.shtml


□関連リンク

SUPER AGURI F1 TEAM | ホーム
http://www.saf1.co.jp/ja/

::: takuma Sato.com :::
http://www.takumasato.com/


タグ:佐藤琢磨 F1
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